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映画で話題の作品をネタバレ解説!『ラストレシピ 麒麟の舌の記憶』田中経一【著】

ラストレシピ 麒麟の舌の記憶 (幻冬舎文庫)

 

 

 

今回ご紹介する本は、田中経一さんの「ラストレシピ 麒麟の舌の記憶」です。

11月より嵐の二宮和也さんが主演の映画が公開され、注目を集めていますね。

 

著者の田中経一さんですが、演出家として「料理の鉄人」など数々のテレビ番組の演出を手掛け、その経験があったからこそこの作品が生まれたといっても過言ではありません。

 

感想、ネタバレに入る前に、まずはあらすじを。

 

 

第二次大戦中に天才料理人・直太朗が完成させた究極の料理を蘇らせてほしいと依頼された、“最期の料理請負人”の佐々木。彼はそれを“再現”する過程で、そのレシピが恐ろしい陰謀を孕んでいたことに気づく。直太朗が料理に人生を懸ける裏で、歴史をも揺るがすある計画が動いていたのだ。美食に導かれ70年越しに謎に迫る、感動の傑作ミステリー!

【「BOOK」データベースより】

 

 

料理人が主役

 

僕は映画が話題になったことで本書を手に取ったわけですが、想像を遥かに超えて面白かったです。

特にレシピとタイトルに入っているにもかかわらず、料理よりも料理人の生き様がよく描かれていて、胸が熱くなるシーンがいくつもありました。

 

過去から現在、日本と中国を股にかけて壮大に広がる物語は、読んで決して損はありません。

 

以下、ネタバレになります。未読の方はご注意を!!

********************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

物語は現在の“最期の料理請負人”の佐々木、第二次大戦中の天才料理人・山形直太朗の視点を交互に行き来しながら進んでいきます。

ここでは二人の視点それぞれから時系列に沿って解説していきたいと思います。

 

 

山形直太朗

 

 

・1932年(昭和7年)6月

 

山形直太朗はパリでの修業経験を買われ、宮内省の大膳寮(旧宮内省にあった一部局で、天皇の御膳などを担当)に入り、料理の腕を磨いていた。千鶴と結婚してすぐに満州で軍の仕事をしてほしいと命令が下り、千鶴と共に満州の大連空港に向かった。

 

・1932年(昭和7年)6月

 

 満州に着いた直太朗と千鶴。直太朗は関東軍の三宅少将と会い、そこで満漢全席を超える料理を作ってほしいと改めて依頼される。品数は二百以上を目標とし、名前は『大日本帝国食菜全席』と三宅少将によって命名された。

 

大日本帝国食菜全席のお披露目は、天皇が満州を訪れる時で、いつかは不明。またレシピ作りは極秘だが、優秀な中国人の料理人を手配し、かかる費用の全ても軍が負担するという。

 

直太朗と千鶴は、四か月前に関東軍がソ連から奪い取ったハルビンという街に向かい、軍によって用意された新居で新しい生活を始めた。そこに軍が手配した十七歳の中国人の料理人、楊晴明が訪れ、確かな腕を認められ、かつ両親がすでに亡くなっていることもあり、直太朗たちと一緒に暮らすことになった。

 

・1932年(昭和7年)10月

 

満州に渡って四か月が過ぎたころ、家に物取りが入り、作りかけのレシピを盗んでいった。戸締りはしっかりしていたことから、二人は楊が手引きしたと考えていた。

 

翌日、直太朗は楊を呼んだが、物取りの件には触れず、満漢全席について知っていることを全て教えてほしいと頼んだ。楊の話を聞き、直太朗は大日本帝国食菜全席に中華料理を加えることを決め、楊を驚かせた。

 

直太朗は日本の意向に反しても、全ての人が喜ぶ料理を作りたいと熱意を見せると、その熱意が楊に伝わり、楊はこれまでとは打って変わって熱心に働くようになった。

 

・1933年(昭和8年)12月初旬

 

満州に渡って一年半が経った頃、買い出しに出ていた楊が市場で昔、帝の元で働いていた料理人と会った。そこで北京を追われた清朝最後の皇帝・溥儀が、近々満州の皇帝になるという話を聞いた。三宅から連絡はなかったが、即位は次の春になると思われ、そこが大日本帝国食菜全席の出番になると思われた。

 

急いでレシピを完成させたが、出番はこなかった。皇帝即位とは名ばかりで、関東軍による海外に向けてのパフォーマンスに過ぎなかった。

 

・1937年(昭和12年)7月

 

自宅の地下に家庭菜園を作らせ、手に入らない食材をそこで作っていた。直太朗はレシピを日本の四季である春・夏・秋・冬の四部構成にし、それぞれ五十一品、合わせて二百四品作ることを決めていた。

 

直太朗は料理を映画に例え、料理長は監督であり、食材は役者などそれぞれ役割があり、台本はレシピにあたるという。料理は音楽などと同じ文化であり、レシピがあるから多くの人に作ってもらうことができ、後世にも語り継いでいくことができると考えていた。大日本帝国食菜全席も、天皇のためだけでなく、みんなに広めたいと直太朗は考えていた。

 

・1937年(昭和12年)12月

 

直太朗は三宅からモデルンホテルで、第一回の極東ユダヤ人大会が開かれることを知り、久しぶりの自分の料理を他人に振る舞えると喜んでいた。しかし、オーナーのジョセフ・グーデンバーグは日本人が嫌いであり、ホテルのロシア人だけで料理を作ると直太朗を拒否した。

 

しかしこれにめげず、翌日直太朗はまたホテルに出向き、料理長に自分の料理を食べてもらって腕を認めてもらい、ジョセフにも認めてもらうことで料理することを許され、二人は親友となった。

 

・1937年(昭和12年)12月 ②

 

直太朗とジョセフの出会いから八年後、千鶴たちを先に行かせた直太朗は自宅に九谷焼の盛り鉢と冬のレシピを取りにもどると、モデルンホテルに向かった。ジョセフにこの二つを預けると、ジョセフに教えてもらった言葉を言う者が現れたら、これらを渡してほしいと依頼した。デービッドは直太朗を駅まで送るよう言われていたが、直太朗はそれを拒み、自宅で別れることにした。別れ際、ソ連の国旗が描かれたハンカチをもらう。

 

・1941年(昭和16年)秋

 

直太朗は三宅に呼び出された。

 

・1941年(昭和16年)10月

 

満州に渡って九年、いよいよ出番がきたと胸を躍らせながら三宅のもとを訪れる直太朗に、三宅は来年の建国十周年のタイミングで天皇に来てもらい、大日本帝国食菜全席でもてなしたいと考えていることを告げた。

 

その後、険しい顔つきとなった三宅はある指令を直太朗に下すと、直太朗の顔からは血の気が引いていた。

 

家に戻ると、直太朗は楊を呼び出し、三宅から楊が中国共産党のスパイだと教えられてたことを告げ、せめてもの情けとして今すぐ出ていくよう命じ、楊は泣きながら家を出た。それからすぐに関東軍の憲兵が自宅周辺をうろつくようになった。

 

十二月、日本による真珠湾攻撃、太平洋戦争が開戦した。翌年、満州建国十周年の式典と祝賀会が開かれたが、開戦の影響で自粛のムードが漂い、大日本帝国食菜全席がふるまわれることはなかった。

 

・1941年(昭和16年)10月6日

 

三宅は天皇をもてなす際に、大日本帝国食菜全席に毒を盛ってほしいと直太朗に依頼していた。毒見のものが味見をするから天皇の命は守られるとした上で、その犯人を楊になすりつけ、楊を裏で操っているのは満州皇帝の溥儀であると仕立てる筋書きだった。

 

直太朗は家族を人質にとられ、命令を拒否することは出来なかった。

 

・1942年(昭和17年)8月

 

三宅の元を訪れて以来、直太朗は人が変わってしまい、千鶴は日本に帰りたいことを彼に告げた。軍需産業に身を置く千鶴の父親からは、手紙で日本が劣勢であること、早く帰国してほしいと言われていた。しかし直太朗はそれを断固拒否し、結局、千鶴が幸を連れて帰国することとなった。

 

・1945年(昭和20年)5月

 

千鶴と幸がいなくなってから三年が過ぎ、日本はますます劣勢に立たされていた。直太朗は二十四時間のほとんどを厨房で過ごし、食材が手に入らない状況下で、レシピを書き続けた。

 

直太朗には一度口にした味は忘れず、それを再現できるという能力があり、楊からはまるで麒麟の舌だと言われていた。直太朗は過去の味を思い出すことで、料理をせずともレシピを書き続けることができた。

 

三宅からは連絡がないが、直太朗の料理人人生の中で一番充実した日々だった。

 

・1945年(昭和20年)7月

 

突然、千鶴と幸が戻ってきて、日本の降伏が時間の問題であることを告げ、一緒に日本に帰ろうと提案し、直太朗もそれに同意した。

 

八月八日、直太朗は幸に、大日本帝国食菜全席を作り上げようとしたことで家族を不幸にしてしまったが、料理は憎まないでほしいと言い、本当の料理とは人を幸せにするものだと教えた。

 

八月九日、ソ連軍が満州に侵攻してきた。三人で逃げ出すが、直太朗が急に家に戻るといい、秋のレシピを千鶴に託して戻っていった。一度は駅まで行った千鶴たちだが、不安になり家に戻ると、直太朗が殺されているのを発見する。そのそばには中国共産党員が腕に巻く腕章に見える赤い布切れが残されていた。

 

せめてレシピだけでも持ち帰ろうと隠し場所を探すが、夏しか発見できず、春と冬は持ち去られた後だった。

 

・1945年(昭和20年)8月9日、午後2時

 

楊は中国共産党のスパイなどではなかったが、直太朗に首にされショックを受けていたが、大日本帝国食菜全席のレシピが中国共産党の手に渡ることで自分の立場が危うくなることを恐れていた。

 

直太朗の家に向かうと、直太朗とデービッドが別れるところを目撃する。また直太朗が殺害され、その二人組が三宅の命令で動いている憲兵であることを楊は知った。しかし彼らはレシピを見つけることができず、いなくなった後に楊は春のレシピだけを手に入れ、千鶴たちがやってくると、逃げるように去って行った。

 

・1945年(昭和20年)10月

 

 千鶴と幸は日本に戻り、直太朗の実家である山中温泉を訪ねた。遺品を残していったが、レシピのことは誰にも話さなかった。東京に戻ると、三鷹にある千鶴の実家に身を寄せたが、すぐに新宿に家を借りて二人で住み始め、宮内省で直太朗と同期だった塩崎金太郎の助けも借りながら、なんとか暮らし始めた。

 

千鶴は働いた給料で有名店を食べ歩き、レシピを再現できる料理人を探し始め、その中で湯木壮一と出会った。二人は付き合い始め、二か月後に本当のことを伝えるが湯木は千鶴のことを嫌いにはならず、千鶴は彼ならと大日本帝国食菜全席のレシピを見せる。

 

湯木はこの料理を再現できることを喜び、千鶴たちと一緒に暮らすようになった。しかし、なかなか再現が進まず千鶴ももう諦めた方が良いと進言するが、湯木は一品でも再現すると意気込み、そこに千鶴も惹かれていた。

 

しかし間もなく、湯木の店が燃え、湯木は一命を取り留めたものの、二度と包丁の持てない体になってしまい、千鶴もひどいうつを患った。彼がこんな目にあったこともそうだったが、彼の証言から店に強盗が入り、二人組はレシピが目的だったこと、中国人であったことなどが分かり、楊の存在を千鶴は感じていた。

 

責任に耐えきれず、半年後に千鶴は自殺し、幸は親戚を転々とし、最期は修善寺で住むこととなった。

 

 

 

佐々木充

 

 

・2014年(平成26年)4月

 

“最期の料理請負人”を名乗る佐々木充は、貿易商の周蔡宜に対して、死ぬ前にもう一度食べたいという『島津亭』のオムライスを作り、周は安らかに亡くなった。

 

周の葬儀から二か月後、充のもとに一流料理人の秘書から電話があり、最期の料理を作ってほしいと依頼が入る。しかも、依頼人自身は北京にいて、すぐに来てほしいということで充は怪しむが、報酬の高さにつられて北京を目指すことにした。

 

・2014年(平成26年)6月

 

北京に到着した充。連れていかれたのは日本の迎賓館にあたる『釣魚台国賓館』。そこで待っていたのは秘書の劉泰星と依頼主であり、この釣魚台国賓館の料理長を三十年以上続けてきた楊晴明だった。

 

楊が作ってほしい最期の料理とは、満漢全席の日本版ともいうべき『大日本帝国食菜全席』だった。楊が満州の時代に山形直太朗と一緒に作り上げたものだが、ソ連の侵攻によって直太朗は命を落とし、『大日本帝国食菜全席』の四つのレシピはなくなった。確証はないが、直太朗の妻である千鶴が日本に全て持ち帰ったと楊は考えている。

 

充は問題外だと断ろうとするが、楊は充が過去に店を経営していて、その時の多額の借金があることを把握していて、その金額以上の五千万円を報酬として提示する。充は楊に様々なことを言い当てられて返す言葉を失い、依頼を受けることにした。

 

楊は、まずは宮内省の大膳課を訪れるとよいとアドバイスした。

 

・2014年(平成26年)7月

 

充は宮内省の大膳課を訪れ、事務長の太田博と会う。しかし、大日本帝国食菜全席のことは何も知らず、辛うじて山形直太朗が大膳課に在籍していたことは分かったが、1932年(昭和7年)3月、つまり直太朗が満州に向かった時点で退職していたことが判明した。

 

充は中野にある中華料理店『竜虎飯店』を訪れ、札幌にある『すずらん園』という孤児院から知っている唯一の友人、柳沢健と会い、北京であったことを話す。柳沢は充の料理の腕前を認める一方で、最期の料理人という危ない職業を辞めるよう忠告し、充もそれは分かっていた。

 

自宅に戻ると太田からファックスが送られてきて、そこには直太朗と同期入省に塩崎金太郎という男がいたこと、彼は『しおざき』という店を開いてすでに他界しているが、そこには彼の長男と妻がいることが書かれていた。

 

・2014年(平成26年)7月 ②

 

大田からファックスを受け取った二日後、浅草にある『しおざき』を訪れた。そこで塩崎金太郎の妻である静江に会い、彼女が昔、直太朗と塩崎が働いていた『筑紫軒』で女中をしていたことを知る。

 

そこでレシピの行方を聞くが、静江は大日本帝国食菜全席の存在時代知らず、唯一日本に戻ってきた直太朗の妻、千鶴も帰国の数年後に亡くなったことを教えてくれた。手がかりが途切れたように思えたが、千鶴が直太朗の遺品を石川の実家である山中温泉に預けたという事実も教えてくれた。

 

数日後、充は直太朗の実家である『山形惣菜店』を訪れ、直太朗の弟の妻である山形絹代と、その息子の妻と会った。絹代は直太朗のせいで旦那が苦労したと彼に良い印象を持っておらず、旦那も直太朗のために白アスパラガスを栽培したり、日本でしか手に入らない書籍の調達などしていた。

 

またそこで充は、大日本帝国食菜全席が天皇のためであることを知る。直太朗の遺品は彼が使っていた包丁のみだったが、直太朗には幸という一人娘がいたことを知る。幸はかつて絹代たちのところで暮らしていたが、度々盗難騒ぎなどがあり、幸は責任を感じて家を出て行ってしまった。年賀状のやりとりもここ数年止まっていたが、旦那の手帳には幸の電話番号が残っていて、絹代に内緒で連絡を取っていたことが判明する。

 

・2014年(平成26年)8月

 

絹代から教えてもらった幸の電話番号にかけると、会っても良いと返事をもらい、修善寺にいるということで、迎えの車に乗って充は修善寺に向かった。社内には運転手の他に電話に出た幸の親族を名乗る女性が乗っていた。女性から充が尾行されていると言われ、尾行をまきながら車は修善寺に到着した。

 

そこで待っていた幸に事情を話していく中で、充が楊の依頼で大日本帝国食菜全席を作ろうとしていることを見破られ、充の尾行の目的は幸を見つけ出すこと、大日本帝国食菜全席の全容などを教えてもらう。

 

また大日本帝国食菜全席を作り上げていく中で、初めは直太朗と楊の関係は良好だったが、楊は中国共産党のスパイであることが分かり、直太朗はすぐに楊を首にしたことが判明し、幸は楊が仕返しとして直太朗を殺害したと考えているようだった。

 

そこで幸の体調が悪化し、面談はそこで終了となった。

 

・2014年(平成26年)8月 ②

 

充は依頼を受け、房総半島にあるホスピス『花の丘病院』に向かった。依頼主は充が経営していた『むら多』に通っていた松尾俊哉で、充は彼のことを嫌っていたが、大日本帝国食菜全席から手を引くためには金がいること、そして以前、彼が満州から引き揚げてきたという話を思い出したことを理由に彼の依頼を受けた。

 

松尾は奉天という一番大きい街の生まれで、六歳まで満州にいた。そこで暮らしなどを聞いているうちに、人間は死ぬ間際に今までとは違う一面を見せるのだと気づき、最期の料理人の在り方を考えるようになった。

 

充は修善寺からの連絡を待ったがこず、ダメ元で修善寺に向かうことにした。

 

・2014年(平成26年)8月 ③

 

アポなしで修善寺に向かうと、親族の女性から幸が入院していることを告げられた。幸も充を気に入っているから見舞いに行ってはどうかと提案され、充は病院に向かうことにした。そこで直太朗が死んだ八月九日になにがあったのか、幸は語り始めた。

 

・2014年(平成26年)8月 ④

 

幸から楊が二冊のレシピを持っていることを教えられ、この依頼を受け続けるか悩んでいた。そんな中、自宅に劉が訪れ、充の追及をかわし、何とかレシピを手に入れてほしいと再度お願いをして去っていった。

 

直太朗はどうすれば良いか分からなくなり、そういった時に必ず作る料理を作ることにした。それは「魔法の土鍋」と呼ばれる、水から炊くだけでスッポン風味の出汁が出てくる鍋を使った料理だった。

 

その五日後、幸から連絡があり、話の続きがしたいと言われ、充は再度修善寺に向かった。充は幸のために、魔法の土鍋で作ったスッポンのおじやを作っていった。幸からは夏のレシピも楊の手元にあることを教えられ、それが話の続きだと言われる。

 

・2014年(平成26年)8月 ⑤

 

幸の話を聞くが、結局のところ、湯木の店に入った強盗が楊なのかは今でも分かっていない。そんな中、幸と触れ合っていく中で充の料理に対する思いも変わり、それがおじやにも出ていると幸は言い、レシピを見ればもっと変わると、充に秋のレシピを見せてくれた。

 

この時の話を柳沢にする充。レシピにはヘブライ語で言葉が書かれていて、充は幸が連れていってもらったというハルビンで一番古いホテルがモデルンホテル(変換できませんでした)の詳細を調べた。すると、ホテルの創始者がロシア系のユダヤ人であることが判明し、ここに謎を解く手がかりがあると踏み、柳沢と一緒にモデルンホテルに向かうことにした。

 

自宅に戻って秋のレシピの一品を再現しようとした充だったが、味がぼやけていて、まだレシピに秘密があると考えた。

 

モデルンホテルに着くと、出てきた料理が直太朗のレシピであることに気づき、オーナーに会おうと決心する。一方で、柳沢の店を含むチェーン店が経営難に陥っていることをオーナーから電話で告げられる。

 

オーナーのデービッド・グーデンバーグに会い、レシピにあったヘブライ語を伝えると、この言葉を直太朗に教えたのは、彼の父であるジョセフ・グーデンバーグであったことが判明する。

 

・2014年(平成26年)9月

 

デービッドは第一回極東ユダヤ人大会にウェイターとして参加していたが、自分のせいで直太朗を死なせてしまったと後悔していることを告げた。

 

・2014年(平成26年)9月 ②

 

デービッドから直太朗の最期を聞かされ、冬のレシピと盛り鉢を受け取った。

 

柳沢と別れると、劉から電話が入り、柳沢たちの店への出資を取りやめた銀行が楊と親交のある人物であることが分かり、全ては自分を陥れるためのものだったと充は知る。劉は幸がレシピを持って北京を訪れることを望んでいた。

 

翌日、修善寺に行って満州でのことを幸に話し、楊の手元に春と夏が、幸の手元に秋と冬のレシピが揃ったことになる。幸は充と一緒に北京に行くことを決意すると劉からの妨害は止まり、柳沢たちの店への出資が行われることとなった。

 

釣魚台国賓館で楊と対峙し、その中で楊は直太朗を殺していないと主張し、過去を話し始めた。

 

・2014年(平成26年)9月 ③

 

直太朗を殺したのは楊ではないと判明したが、湯木を襲ったのは楊だった。彼は千鶴がレシピを日本に持ち帰ったと予測し、そこから湯木の店を見つけ、日本の知り合いにレシピを奪ってほしいと依頼した。

 

様々な行き違いがあったが、幸が北京に来た理由は直太朗と楊の関係の修復だと言い、モルガンホテルに預けられていた直太朗の手紙を楊に渡した。そこには大日本帝国食菜全席の本当の目的が書かれていた。

 

・2014年(平成26年)9月 ④

 

直太朗が楊を助けるために嘘をついたことが分かり、楊は今までの罪を悔い、幸もそれを許した。

 

ここで最後の真実が明かされる。レシピは改良され、天皇ではなく家族に振る舞うためのレシピにしていたこと、そしてレシピには基本調味料が書かれておらず、直太朗と同じ麒麟の舌を持つものだけが料理を再現できるようにしていた。

 

楊は周の葬式の際、充が最期の料理人をしていることから、麒麟の舌を持っていることを知り、また彼の病室に充が残していった丸柚餅子から充を調べ上げ、充の母親は幸であることを知った。

 

幸と充の関係も修復し、また冬のレシピの最後のすっぽん雑炊にはレシピが書かれておらず、それはすずらん園から持ってきた魔法の土鍋で作るだけで良いからだった。

楊は、幸のために充にこの雑炊を作ってあげてほしいと言うが、充はすでに作ったと言い、幸は本当においしかったとこぼした。

 

日本に戻って幸に秋のレシピの料理を作り、それが最期の料理となった。

 

・2015年(平成27年)1月

 

すずらん園を訪れると、園で出されていた料理のレシピは全て幸が手紙で送ってきていたものだった。

 

充は楊のくれた報奨金で借金を返済し、新たに店を開くのだった。

 

 

かなり要約となってしまいましたが、こんな感じです。

充と満の表記が作中では入り混じりますが、ここでは充で統一しています。

 

ここには書いてありませんが、巻末の大日本帝国食菜全席のレシピは圧巻でした。

著者の田中さんが考えられたそうです。

 

それだけでも本書を買う価値はありますので、まだの方は読んでみてはいかがでしょうか。

 

 

ラストレシピ 麒麟の舌の記憶 (幻冬舎文庫)

ラストレシピ 麒麟の舌の記憶 (幻冬舎文庫)